妊活・不妊そして妊娠高血圧症候群の13年
結婚するとすぐに子供ができる。
そして、次々と子供ができるのかな・・・と考えていた25年前です。
私たち夫婦は結婚してから子宝に恵まれるまで13年かかりました。
男性が考えている以上に女性はデリケートで出産は命がけということを体験談をもとにお話しします。
夢が膨らむ結婚生活
私が薄毛で悩んでいた25歳の冬に学生時代からお付き合いしていた今の奥さんと結婚しました。
結婚当時はいつも「子供ができたら」の話題で盛り上がったものです。
もちろん、奥さんのご両親も楽しみになさっていましたね。
最初は女の子がいいかな
男の子もいいね~
どんな名前がいいかな~
可愛い服を着せたいね~
4人とか5人できたらどうしようね(*´▽`*)
キャッチボールとかしてみたいな・・
などなど・・子供との生活に夢は膨らむばかりです。
しかし1年・・2年・・5年・・一向に子供のできる気配はなく、子供の話題もなくなっていきました。
今思うと、ご両親も気を使っていただいて孫や子供の話題はしないようにしてくれていたと思います。
会社の上司や親戚の方などとはどうしてもそういう話題になってしまいますね。
結婚する前は「結婚はまだか~」結婚すると「子供はまだか~」というのがあいさつ代わりみたいなところがありますね。
男にとっては笑いながら返していけるところも、女性にとっては大きなプレッシャーになっていったのだと思います。
奥さんの生理時期が来るたびに夫婦で期待したものです。
もしかして生理が来てないのでは?赤ちゃんができたているのでは?
しかし通常通り生理が来くると「ごめんね~生理きちゃった( ;∀;)」と申し訳なさそうに言っていました。
謝ることなんてないのにね。
妊娠活動中は体調が悪くても薬を飲まないように気を付けていました。もしかして妊娠してたりすると胎児に影響を与えてしまう可能性があったからです。
私たちは「子育て日記」のような本をよく読んでいました。
子供ができたらこんな感じかな~っていうのもあったし、ほのぼのしていて面白かったのです。
病院へ行ってみようか
「不妊治療の病院へ行ってみようか」結婚して5~6年目頃だったと思いますが言いました。
身体的な原因があるのかもしれないし、二人で悩んでいたって解決できるわけでもないので専門家に相談してみようということになりました。
奥さんが色々聞いたり調べたりした中から評判の良い病院に行くことにしました。
不妊症は病気ではなく1年以上妊娠しない状態を「不妊」といいます。普通の性生活を送っている場合は1年ほどで子供ができます。なので、結婚して1年で子供ができないと不妊症と考えるべきなのです。不妊症の原因は特定が難しいということで妊娠に至る過程の段階で何らかの障害があると想定して治療します。
男性側の検査はすぐに終わりました。
結果もすぐにでます。
しかし女性側の検査は数種類あるので1日ではわからないということでした。
不妊症の原因は主に排卵障害・卵管障害・着床障害・男性因子・子宮内膜症・子宮頸管因子・抗精子抗体・性交障害・原因不明不妊・不育症があります。不妊症の検査で正常と診断された方も妊娠できなかったり、原因が見つかったとしても本当の原因まで特定できないこともあるそうで人間の体は未知な部分が多いのです。
このような話を聞くと、子供が生まれてくるということは奇跡に近いんだなと感じました。
どことなく通院している奥さんが辛そうに見えました。
子供がいなくたっていいじゃないか
不妊治療の通院はやめました。
夫婦で話し合って出た結論が「子供がいなくたっていいじゃないか」です。
不妊治療で悩むよりはキッパリ諦める。
ストレスを抱えると取り返しのつかないことになるかもしれないと思ったのです。
二人で猫や犬と一緒にのんびり暮らしていこう。
もしかしたらそのうち出来るかもしれないしね。
実家のお父さんお母さんには申し訳ないのですが、できないものは出来ないのです。
こんな感じで妊活を諦めた夫婦ですが、結婚して10年目で転職する機会があり、山形県の田舎に引っ越ししてきました。
安くお借りした古い一戸建て住宅は、周囲はとても静かで、山や墓地がすぐそばにある自然豊かな場所です。
ご近所様もよい人ばかりで安心して暮らせる良い家を紹介していただきました。
しかし・・・家の中はゴキブリやムカデ等が出没するのです。
妊娠した!!
田舎に引っ越しして2年目くらいだったでしょうか。
たしか暑い5月だったと記憶しています。
「妊娠したよ」奥さんが涙を浮かべて私に言いました。
あの時私は何て言ったのかは記憶にないのですが驚いたのと嬉しいのともしかしてダメになってしまうのではという不安と等々・・とにかく嬉しい!!
奥さんはすでに産婦人科へ行っていて母子手帳を持っていました。
実感はないものの母子手帳があるということは本当なんだ。
小さいエコー写真も見せてもらいました。
白黒でよくわからないものでしたが確かにお腹にいるというものです。
それからは、一気に出産へ向けた生活に切り替わり、結婚した当時に話題にしていた話で盛り上がりました。
最初は女の子がいいかな
男の子もいいね~
どんな名前がいいかな~
可愛い服を着せたいね~
4人とか5人できたらどうしようね(*´▽`*)
キャッチボールとかしてみたいな・・
定期的に産婦人科へ通院していると、「おなかの赤ちゃんは男なのか女なのか知りたいですか?」と選択権をもらえます。知りたい場合は教えてくれるそうです。
私たちは教えてもらうことにしました。
結構即決です。
「女の子です」
結婚して12年もたっている私たちには男の子でも女の子でもどちらでもうれしいのです。
ようこそ!!
赤ちゃん!!
お腹の中に来てくれてありがとう!!
出産までの険しい道のり
私たち男性は、女性が妊娠したらスッポン!!っと生んでくれると簡単に考えています。
私も普通にスッポン!と生まれるとそう思っていました。
定期的に産婦人科へ通院しているとエコー写真を見せてくれます。
大腿骨の大きさで成長を確認します。
子供がお腹にいる期間というものは本当に生まれてくるのが待ち導しいものなんだなっと実感しました。
あまりお腹を触ると赤ちゃんに異常が出るのではないかと変に考えちゃってあまり触れなかった記憶があります。
お腹はだんだんと大きくなって妊婦っぽい女性になってきたのを二人で喜んだりしました。
妊娠したら買う雑誌も何冊か買いましたね。
名前の付け方の本も買ってきましたがあまりにも選択する名前の数が多すぎて逆に選べないものです。
産婦人科からは、「とにかく太らないように!!食べ過ぎないように!!」と言われます。
2人分食べないといけないのでは?っと思っているのは私だけでした。
実家のご両親にも報告した時は本当に喜んでくれて、残念なのはお父さんがすでに亡くなっていたことです。
本当は孫のことを一番に楽しみにしていたのを知っていたので残念でなりません。
妊娠7か月目からは出産の準備で奥さんは実家へ行くことになりました。
ここはお祖母ちゃんになるお母さんに手伝っていただくのがベストですからね。
ところが、実家の近くの産婦人科へ行って間もなく「大きい病院へ行ってください」と赤十字病院を紹介されます。
突然のとこで何が何だかわからない状況でしたが、とにかく個人病院では対応できない状態にあったのです。
「妊娠中毒」現在では妊娠高血圧症候群と呼ばれています。
妊娠中期から後期にかけて起こる病気で、「高血圧、むくみ」があります。
奥さんは血圧200まで上がりました。
病院を移って間もなく、おなかの中の子供の心音が弱くなってきている!!帝王切開して子供をお腹から出すという緊急手術になりました。
私は連絡を受けて急いで仕事場から病院へ向かいました。
今まで想像していた出産というのは、ドラマでよく見るような分娩室の扉の前で生まれてくるのを待っている旦那さんと爺ちゃんおばあちゃんになるご両親。
しばらくすると「おぎゃ~」と扉の向こうから聞こえてくる。
扉を開けて奥さんと子供をみて「よくやったな」っと声をかける・・みたいな・・
私が病院についた時は子供がお腹から取り出されてICUへ移るときでした。
手術を担当した先生でしょうか、子供の呼吸を助けるような小さい空気入れの管を口に入れて膨らましたり絞ったりしながら小走りで走っていきます。
子供は全身青黒かったように見えました。
奥さんは全身麻酔で目お閉じたままでしたがお腹を開いたところからの血が止まらないということで輸血をしながら更に別の病院へ救急車で緊急輸送です。
帝王切開はお腹の真ん中で行われていました。
大きなホチキスのようなものでお腹を縫っていたようですが血が次から次へと出てくるのです・・
とても危ない状況なのが分かりました。
主治医の先生から、生まれてきた子供について聞きました。
「酸欠の状態で生まれてきているので危ない状況です」とのことでした。
もしかしたら2人とも失ってしまうのでは・・目の前が真っ暗になってしまいました。
結婚から13年目・・家族3人へ
子供は無事です。体重1300グラム。
とても小さくて腕や足がとても細かった。
ICUにいる間は両親のみ面会が許されていたのでお祖母ちゃんは孫に会えませんでした。
赤ちゃんは、元気に回復してくれました。
鼻や口に入れていたチューブを自分で抜いて暴れていたのを見ました。
「元気でよかった。」
この様子だとなんとか大丈夫そう。
2300グラムになると退院できるといわれました。
奥さんは別の病院でICU治療中です。
容態は何とか落ち着いたので命には別条なしです。
かわいそうだったのが自分の子供にまだ会えていないことでした。
二人とも別々の病院のICUです。
「とにかく二人とも無事でよかった。」
1か月ほどで奥さんが子供よりも先に退院しました。
そして真っ先に子供の入院している病院へいきました。
初めて自分の子供を抱く奥さんの手は震えていました。
結婚してから13年目・・ようやく3人家族になれました。
最後に・・
子供ができるということは奇跡なのだと感じました。
そして、女性が子供を産むということは命がけなのだということも実感しました。
昔はこうやって死んでいった人が多くいたんだと思います。
医療が進んでいなかったら私はもしかすると「孤独のハゲたおじさん」になっていたかもしれません。
今では親子3人と猫2匹で楽しく暮らしています。
娘は元気に学校へ通っています。
幸せですね・・・。
最後に・・・生んでくれてありがとう。
参考文献
辰巳賢一 2015年9月1日 【原因、検査、治療からこころのサポートまで最新不妊治療がよくわかる本】 株式会社日本文芸社
榎本由美 2017年9月1日 【ああ不妊治療】 株式会社大洋図書
Wikipedia妊娠高血圧症候群